どうもMENS GAMAZINEの管理人です。今回は人権作文で頻繁に主題として扱われる「イジメ問題」について真剣に考えてみたいと思う。


当ブログは、旅行総合情報を扱うものですので、普通に考えればイジメ問題・・・一切関連性がございません。


しかし、いじめられていては心が痛い。涙が止まらない。泣いている状態で人は旅行に行くのでしょうか?


傷心旅行なんて言う言葉があるように、傷ついた心を癒やす目的で行う旅もございますが、旅行者の大半は、泣いてません。疲れているか、ノーマルか、HAPPYです。


いじめられて、心が折れて泣いている人は、旅行なんかする気力もなければ体力も、そもそもないと思います。


だから、イジメを解消できれば旅行もできる。その関係性を信じて、今回の記事を作成していこうと思う。

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Contents

人権作文 いじめを無くす方法

人権作文コンテストで法務事務次官賞などを受賞する作品群を、いくつか読んでみると、ある共通項が浮上してくる。


それは、個人的で具体的な経験がベースとなっている点だ。


しかし今、日本全国の小中高でどれだけのイジメが勃発中だろうか?ハッキリとイジメが表面化してるものもあれば、水面下でのみ行われている類もあるだろう。


SNSやLINEなどのネットツールが流通したことで、いじめられる可能性は、学校の教室だけではなくなった。


そんな状況において、個人的事例に過ぎない話に、「いじめを無くす」パワーがあるかと言えば・・・ない。


もちろん、私が読んだ人権作文は、個人の想いを書き綴ったものであり「イジメを無くす」目的に特化して書かれたわけではないのでしょうがないし、作文に書かれている心情なり発見は、


ある層には響き、考えを改めさせ、イジメの進行に歯止めを掛けるきっかけになり得るかもしれない。


でも、イジメを無くすまでには至らない。なぜなら、事態はもっと深刻と言うか、深刻な連中には、まっとうに思考する余裕もないし、受け入れる心も持ち合せていないからだ。


私は学校教育に携わるモノでもないし、脳科学の専門家でもない。何者でもないし、専門的知識もないが、昔から「いじめ」の問題に関しては、あれこれと思考を巡らせてきたので、考えをまとめてみたい衝動に駆られてこれを書いている。

人権作文 いじめを無くすにはいじめを知る必要がある

私は可能な限り、様々な側面からのデータを収集したいと考えている。それが結果的にイジメを無くす方向への手助けをしてくれる。


  • モニタリング

まずは学校を映像で観察する。映像で撮っていることは生徒たちには知らせない。無断で撮影することの人権とか、そういう話で無理なのか? いいやそんなことは無いはずだ。そこで撮影した映像は、研究チームのみが保管しておくからいいだろう。


まず私が欲しいデータは、脳波や心拍数など、体の反応である。相手を罵る、イジメモードに入った時点での脳波などの数値。または、イジメを受ける側になってしまった人物の脳波などの数値を測定したい。


  • イジメが発覚したらデータ化

次にイジメが発覚して、事件に発展するケース、または学校内でなんとか大事にする前に落ち着かせたケース、なんでも良い。イジメてる側といじめられてる側が明確になった場合は、その子供たちの置かれている状況をちゃんとデータとして残して欲しい。


運動能力、学力、どのような両親なのか、兄妹は?それらを見ることで傾向をハッキリさせたい。


「モニタリング」に「データ化」をして私がやりたいことは、とにかく、いじめる人間といじめられる人間の「特徴」を割り出すことである。


おそらく、親の愛情の欠落、親が教育していない、親が暴力を振るっている、親が日常的に乱暴な言葉遣いをしているなど、子供が正常に発育する環境が整ってない可能性がまず、明確化すると思う。


学校側、もしくは専門業者の手を借りて、子供と親の関係を事前に調査してはっきりさせておこう。そうすれば、誰がイジメを起こす可能性が高い生徒なのか、いじめられる可能性が高い生徒は誰なのかが、予め分かると思う。


そうすれば、重点的なケアも可能となってくるし、イジメの早期発見にも結び付けられると思う。


また、私が強い興味を覚えているのは、いじめている最中の「脳の状態」だ。おそらく、快感物質が出ていると思う。そういうモノが分泌しやすい子が、イジメを起こすのではないのか?

人権作文 私はいじめていた

私はイギリスに留学していた時、あるロシア人に絡んでイジメてた時期がある。13歳くらいだったろうか。


気に入らないことがあると、蹴ったりしていた。相手は私よりも体が大きいので、やり返されたら危ない危険性もあった。それから私は徒党を組まないので、一人で蹴っていた。


これは弱い者イジメではないし、イジメって寄ってたかってでしょ?だからいいだろと、自分勝手な理屈で理不尽な暴力を肯定しようとした瞬間があった。


それほどに、私の実感としては、他人を一方的に虐げる行為には、「得も言われぬ快感」があったのだ。


しかし、ある時から私は考えを改めることになる。他人を犠牲にして不快にして快感を得ることは、悪だろうと反省をするのだ。


個人差あるかもしれないが、人をイジメてしまう行為には、気持ち良さ、快感が含まれていると感じている。だからこそ止まない。いじめっ子とサディズムの関連性についても、きちんとデータ化した方が良い。


人を虐める行為には快感が伴うという意見に対して、なにそれ!気持ち悪い最低!と否定して突き放すような人は、多分、人をイジメた経験がないだけだろう。


イジメたところで快感を覚えるかどうかは、私は私の感情しか知り得ないので分かりませんが、どう考えても私だけが特別とは思えない。


その13歳の体験以降、私は一度も他人をイジメたことはないが、13歳以前、日本の小学校にいた時を思い返すと、今から思えば、イジメの範疇に属するような行為をしていたような気もする。


私がやっていたのは、個人技による突発的な暴力だった。サッカーでわけわからないプレーした奴に向かって飛び蹴りをしたりと言った。


感情が制御できないと言った感じ。特徴的なのは明らかに弱い人物には暴力を振るわない点だった。そこはまだ、救いようがある。自分と同等かあるいは、場合によっては負けそうな奴にも暴力を振るう。


だから、返り討ちにあったこともあるし、酷い顔になった時もあった。仕返しに後ろから石を投げつけられて、頭が腫れたこともあれば、鉛筆で腕に刺し込まれたこともあった。


私が典型的ないじめっ子にならなかった理由は、定かではない。私の持って生まれた性格か親の教育やその他、環境が影響してるかもしれない。


しかし、私がちょっとだけ「仲間を集めて組織的な暴力を展開しよう」と思っていたら。私がちょっとだけ「特定の人物にターゲットを決めて暴力を展開しよう」と思っていたら、私は確実に典型的ないじめっ子になっていただろう。


ほんのちょっとの差で、人の運命は簡単に変わってしまう。仲間を集めてターゲットを限定してイジメをすれば、当然、そのターゲットの負荷は高まる。どうしょうもない苦しみを味合わせることに結びつき、最悪の場合、そのターゲットの命を奪っていた可能性だってあるのだ。


おそらく、サッカーに夢中だったことも、そういった余計な行為に意識が集中しなかった理由の一つかもしれない。我が子をいじめっ子にしたくない親は、子供を何かに夢中にしてやると良い。

人権作文 いじめをやめる転機

13歳以降のイギリスで私がなぜ、暴力をすることをやめたのか。理由は簡単だ。弱者の気持ちを理解したからだ。


日本にいた時、私は決して体の大きい方では無かったが、持って生まれた運動能力があり、強者でいられた。


しかし、イギリスでは全く違う。筋肉、体つき、俊敏性、どれをとっても圧倒的なのは黒人で、白人においても平均的に日本人よりも高く感じたものだ。


そこで初めて体感する。弱者の感覚。あの太い腕で暴力を振るわれたらたまったものじゃない。そのとき初めて、私はなんて残酷で理不尽な行いをしてきたんだ・・・と心底、過去を悔いた。


私は16歳になるまで、イギリスの学校で寮生活をしていたが、その間、いじめる側になることもなければ、いじめられることもなく過ごした。


深夜になると、上級生VS下級生的な取っ組み合いが毎晩のように行われて、其の際には得意の飛び蹴りなどで応戦したが、それ以外で暴力は使わなかった。


ただ、弱者を認識したことで、自分を守る為の嘘はついた。「俺は空手の黒帯だ」などと言った、日本人のアイデンティティを利用しつつ、真実を知り得ない情報を与えて、強者を装った。


イジメは何も日本だけじゃなく、イギリスでも普通にある。何もしない弱者は当たり前にターゲットというか、ちょっかいを出されるようになる。


それに対して、亀のように縮こまっていても事態は何一つ好転しない。助けてくれる仲間を見つけるか、自分なりの戦術を使って攻撃を回避する必要がある。


私は仲間を作るのが今も昔も上手ではないので、戦闘力の高い自分を演じた。また、先に話に出した上級生VS下級生の戦いでは、先陣切って跳びかかり「結果」として示した。


あいつはヤバイやつだ・・・と思わせればしめたもの。何かしてくるような奴をわざわざ、ターゲットにはしない。


何の話だ・・・そうそう、イジメには快感が伴うという部分である。これの科学的根拠を示して、そのような傾向が見られる子供には、然るべき対応が必要となる。


そういった快感を抑えるための処方をするとか、快感に対して、抑制させるような発想や気付きを与えるように教育する。


もしくは、私がイギリスで体感したように「弱者」の立ち位置を味合わせること。

人権作文 いじめ当番制
2000年に放送された松本人志主演の学園ドラマ「伝説の教師」では、イジメをなくす方策として「イジメ当番制」を南波先生は提案していた。


毎日、いじめる子を決めて虐める。そうすることで、虐める側の気持ちといじめられる側の気持ちを体感できるという発想である。


当時私は、18歳くらいか。日本とイギリスの経験を経て、テレビを観てた私は、良いアイデアだな〜と感じていたものだった。


あれから、16年。どこかの学校で1度でも採用されただろうか?イジメ当番制。採用してないだろう?正論っぽい理屈を並べて否定するような教育に携わる馬鹿がいるから採用できないのだろう?


イジメを無くしたいのか、まともな大人を演じたいのかどっちなんだ。


また私の感覚では、知性と経験の上積みをして、18歳くらいにもなれば、幼稚なイジメなどしようとは思わなくなると感じている。


なので小中高では、一時的に、圧倒的強者を教室内に設置しておくという手も有効だと感じている。


私が感じるイジメの原理としては、強者と弱者がいて、強者が虐げる快感に酔ってしまうことで始まると思ってる。


だから、強者を強者でなくす仕組みが必要となる。ロボット?格闘家?力が有り余ってるニート?

人権作文 いじめる人間が100%悪い?

よくある考え方として、イジメは「いじめる人間が100%悪い」というものがあるが、私はそうは思わない。そんな馬鹿な話があるかと思っている。(何の理由もない理不尽な暴力は別として)


結果的に、エスカレートしてしまったイジメの時点では、圧倒的にイジメを実行している側が悪だが、根元を辿っていけば片方だけが100%悪いことなどあんのかねと思う。


ちょっとした勘違い、ちょっとしたスレ違い、お互い様だった状況から動き出して、小さな火種が、最終局面では一方的に見える形で、大火になっている気がする。


私は、いじめる側もいじめられる側にも大きな問題があると感じている。それは体の状態だ。


硬く強張った体であれば、ちょっと転んだだけで怪我をし、酷い場合は骨折をしたりするでしょう。しかし、緩んで自由な体であれば、上手に転び、何事も無かったかのように起き上がることができる。


心ってのも、全く同じ性質がある。


身体がギュッと固まっていると、呼吸も苦しくて、余裕もない状態。何もしてなくても苦しい状態だ。だから、ちょっとした言葉も、本人にとっては、棘に感じるし、強い痛みとなって心に刺さる。


一方、体はふにゃふにゃで、いつも笑顔、深い呼吸を何の意識もせず出来ているような人は、上と全く同じ言葉が飛んできたとしても、平然と受け流したり、軽々、打ち返すことができる。


私はまず、この差を埋めなければ、議論しても「ど徒労」な気がしてならない。こういった、体から生じる心の状態が影響している問題を見ずに、一方的に虐める側だけを叩いたところで、なんにも解決しませんよ、絶対に。


いじめてる側にいじめてる意識がなくても、いじめられてる側は傷ついてる的な、感覚のズレは大昔から指摘されてきた。


このズレは、性格的な問題プラス、私が挙げた体の状態の差が生み出している事象に他なりません。


固い体は、ストレスの蓄積などによってどんどん強固になっていく。家族の不仲とか、暴力とか日常的に強いストレスに晒されてる子供に、自然に緩めと言っても無茶な話。


体をほぐすやり方。また、体が固い状態から緩んだ状態になった際の「心情変化を体感する」など、積極的に教育する必要がある。


固い体を緩める理論として、今一番最先端を行ってると感じるのは「ゆる体操」です。各プロスポーツ選手の間ではかなり浸透してきてるようですが、(サッカー日本代表の長友選手も取り入れている)学校教育の現場でも、カウンセリングよりも積極的に取り入れる必要があるだろう。

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人権作文 自分の意見を声に出して相手に伝える

イジメの発生を抑える効果があると思うもう一案はコレ。「自分の言葉で話す、自分の意見をハッキリと相手に伝える」ことの習慣化です。


日本人は、欧米諸国と比べて自分の意見をハッキリと他人に伝えることが不得手に感じます。一方で空気を読むだとか、言わなくても分かると言った美意識って言うんですかね、そのような日本人独特の感覚も育まれたわけですが。


ただ、イジメを回避する観点から見れば、はっきりと自分の思っていることを口に出して言えた方が良い。


1クラスあれば、中には酷いやつも必ずいる。人の悪口を言ったり、嫌味を言ったり、人の不幸を笑うようなひねくれ者が。


そういう奴は、親の影響を多分に受けているので、イジメを根絶するのであれば、子供が成長する前段階で、どうしょうもない教育をしそうな親の再教育が必要だが、そんなことは実際不可能でしょう。(それが不可能な時点で、イジメが無くなるワケがない)


魔族の教育をうければ、清らかな子供にも魔が宿る。また子供の人格や性格ってものは、結構早い時点で確定するそうなので、そうなってから、ああだこうだ言ったところでだいぶ遅い。


それから思春期の子供たちに、誰も傷つけない、乱暴もしない、清廉潔白さを要求するような発想も違うと感じる。


気に要らない奴と喧嘩したり、暴言を吐いたり、痛みを感じながら、危うい橋を渡る感じで、子供は段々成長していくものだと私は認識している。


兎にも角にも、嫌なら嫌と言う。慣れてなくて言えないのなら、いじめられてからでも遅くないから、自己主張をする習慣を付けよう。


これは個人練習でまかなえる範囲の話です。シャドーボクシングの要領で、嫌なことを言われたらこう返す、という言葉を実際に一人で口に出して練習する。何度も何度も、最初は下手でも良い繰り返せ。その練習は必ず、本番に活きてくる。


「嫌なものは嫌と言う・自己主張する」これは何も、いじめられてる側のみの話ではない。いじめをしているグループがあったとして、おそらく、全員が同じ思考を持っているわけじゃないだろう。


長いものには巻かれろ的な感じで、思考停止状態になってる馬鹿もいるだろうし、本当は嫌だと思っているが、仲間はずれになるのが怖くて何も言い出せない人もいるだろう。


そういう連中も、自己主張しなければならない。また自覚をしなければならない。頭数の一人として存在していることが、更にイジメをエスカレートさせているという事実を。自分は直接的に手を出してないから良いやと思ってるんだとしたら、大間違いだ。


また完全な傍観者も、イジメを無くしたいという正義があるのなら、自身の意見を言え。


てか、学校の「クラス」とか言う閉鎖的空間、まだ必要?

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