
・みんなの意識付け
・助けの声を出せる環境作り
ざっくり集約すると、「いじめをなくす」上での発想は、上の二つになるかと思います。
私はいつも思う、なんだそれと。
まず、いじめはなくなりません。理由としては、人間が個性的すぎるからです。
タバコによる発がん率の上昇は明確だけれど、みんなが止めるわけじゃないです。死のリスクは分かってるけれども、自分にとって大切な時間だからと喫煙を続ける層もいます。
で、二次喫煙的なものに敏感になり、タバコの煙を毛嫌いして、タバコを吸う人間を敵かのような目で見る人達もいます。一方で、「自分にとって大切な時間だから」と捉える部分を確かにそうだよな・・・と納得する非喫煙者の層もいるでしょう。
どの層が多いなどの割合は、私は知りません。とにかく考え方には個体差がある。
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個体差の事例

高橋くんが、前田くんに、Aの属性の攻撃をしました。結果的に前田くんは傷つきます。
しかし、高橋くんが全く同じAの属性の攻撃を、小野寺くんにした所、小野寺くんは、とても楽しいと感じました。
二週間後、高橋くんが全く同じA攻撃を、小野寺くんにしたところ、その日は小野寺くんはとても不愉快に感じました。
さて、ここで質問です。
二週間前は楽しかったA属性の攻撃が、なんでその後、不愉快に感じちゃったのでしょうか?
答えは、いくつも考えられますが、私の回答は下。
「A属性の攻撃」をした事実には変わりありませんが、発する側と受け取る側の肉体が、二週間前とは異なっていた・・・です。
簡単に言うと、両方が平熱なのと、片方が39度の熱の場合を比較して、同じことをやろうとしても、同じ結果にはなりません。
受け取る側が体調不良なら、同じことをやられても、楽しいどころか不愉快で仕方がないはずです。
だから結論から言えば、いじめを解決する本質は、身体能力の向上と、身体のあり方に全員が意識的になることです。
沸点が低いやつ、いじめられて不快でもただ何もしないやつ、相手の気持ちが読めず無自覚にいじめるやつ、全員総じて身体能力が低いです。
足が速いとか、筋肉がちょっとついてるとか、そういう次元の身体能力ではなく、体がふわっとして、快適感のある肉体です。朝起きた瞬間から快適で、なんでもできそうな気分に最低限なれてるような肉体です。
私の考えでは、全員が私と同じ意識で体と向き合えば、いじめはなくなります。
しかし、上で書いたように、個体差があるのでそうはなりません。
なんとなく、共感できる人もいれば、何もわからない、反発する人もいるでしょう。その時点で終わりです。私にとって、いじめをなくすことは、人生の重要なトピックじゃないので、やる気ねえなら勝手にしろで終わりです。
しかし、本当に心のそこからいじめをなくそうとしてる人間がいるとして、いつまでたっても、身体能力の状態に考えが至らないのは、アホとしか言いようがないです。
仮にいじめを受けても平然と受け流したり、跳ね返すには、胆力が必要です。まず一個、一方的なモノの見方をするのなら、いじめられる側に、この意識と努力がないから、いじめなんて自体が起こるわけです。
もし、単独で存在してる状況が、いじめのターゲットになり得る確率を著しく上げるのなら、徒党を組むスキルを向上させる努力をしなければならない。
なにか不快な目にあって、何もしない、傷ついて気力を失う、この状況を打破できない精神性こそ、身体能力が低いと言ってるわけです。
いじめられてるやつは悪くないだとか、耳障りの良い気色の悪い精神論は、何の役にも立ちません。
で、身体能力身体能力と私は繰り返していますが、この身体能力は、100メートルを9秒台で走れなければ成し得ない能力なんぞではないです。
その地点まで到達しないとイジメが根本的に無くならないのだとするなら、なくならないでしょう。しかし、そうじゃない。
朝起きた瞬間から、なんかだるい→起きた瞬間から超快適、やる気しかない
に変える。これを実現するだけでも大きな変化です。
快適感に満ちてる人間は、しょうもない歪んだやり方で快感を得る必要がなくなります。他人を虐げたり、下に見たりするクソ行為ね。
あと多勢に無勢で圧迫したりと言った行動は全て、快適感を得られてないのと、自己肯定感が低いから起こる現象です。
しょうもなく不快な自分を慰めるために、自分よりも弱者を攻撃して満足しようとするクソみたいな意識から起こっています。
で、何がそうさせるのかと言えば、身体です。身体がゆるゆるに緩んで、内臓も快適に動かせて、身体のどこにも強張った箇所がない、朝起きた瞬間から快適な肉体を保持していれば、いかに今、人生がクソだとしても、もっとよくするために前向きにいきる意欲に燃え、しょうもないいじめ活動で己を慰めようなどという発想に至りません。
もう少し具体的に言えば、適度な運動をして、適切に身体をゆるめる体操を日常の中に取り入れれば、質の高い睡眠を取れるようになります。それが朝の快適感を生むのです。
身体が精神と脳に大きな影響を持つ以上、これが事実で、ささっとここにスポットを当てて取り組めば良いものの・・・いつまでたってもどうしょうもない、本質とはかけ離れた、対処療法的な話ばかりでうんざりです。
たとえば、上のA属性の小野寺不愉快の例で言えば、その問題が発覚したら、「小野寺くんにA属性の攻撃はやめましょう」みたいな対策をして、終わらせるような発想です。
いや、、しねよと笑。場合によっては、楽しかったやり取りでもあるのです。しかも、そんな細かい対処をしていたのではキリがねえです。C属性でキレるかもしれないんでね。
中学のおもいで
私の話をします。私は中学時代、ちょっとしたことにもストレスを感じる子供でした。
コンピューターを扱う授業で、隣に座ったやつが私を見て、「教える」ことが続きました。本人的には、得意分野であり、もたもたしている私を「助けて」いるつもりだったのでしょう。
しかし、私の内側では、こいつ、いつ殴るかな・・・としか考えていませんでした。大して仲良くもなく、コミュニケーション能力も著しく低かった私は、頼んでもねえのに手を差し伸べられる行為が、邪魔でうざくてたまりませんでした。
このように、傍からみれば「善行」だろうが実はそんなものは、ポジティブな状況を生んでるかどうかの何の根拠にもなってないし、もう一個言えば、私の能力が低い事実が問題なわけです。
相手が善意でやってる状況で、それをストップさせるには、胆力が必要です。相手の感情に無頓着というか、愚鈍なやつなら、何も構わず、自分でやるからやめてと言えるのかもしれませんが、いじめられるようなやつは、おそらく、もっと敏感です。私も日本を離れてなかったら、いじめのターゲットにされていたことでしょう。
話を戻しますが、善意でやってるやつのうぜえところは、それに感謝がこないと不満を表現する点です。本当の善意とは、相手がどういう反応をしてもそれを受け入れるだけの度量があって成立するのですが、中学生にそれを期待できるわけもなく、また、上手に相手をストップさせられる自信もなく、私はただ黙って耐えたのです。
身体をゆるめて、軸を通し、内臓から呼吸法で改善して、整えて、その時を準備しさえすれば、相手をそこまで不快にさせることなく、自分の要求を通すことは可能です。
まあどおせ、死にやしねえし、最悪、殴り合いでもOKみたいなノリで、やめろと言ってしまうのもありかもですが、効率的ではありません。
と、まあ、色々書いてきましたが、私が何を言いたいのか理解できたでしょうか。冒頭に個性的と書きましたが、もっと言えば、能力に差があるからと言い換えても良い。
レベル1の事件が起きて、傷つく人もおれば、何も感じない人もいる。逆に喜ぶ人もいる。
レベル1で傷ついてるようなやつは、そのままレベル100をくらったら死ぬでしょう。何も感じない人も、レベル100くらいだと、少々辛くなってくるかもしれません。逆に喜んでいた人は、まだ喜んでます。
この差は能力です。持って生まれた能力値と、生活環境によって上下する値が確実に存在します。
平熱と高熱の自分は別人、と認識できる人は多いでしょう? インフルエンザなどで高熱になっているときは、頭も回らず、あらゆることがどうでも良くなり、無気力になります。自分の平均値と比較すれば、低能力状態に陥っとるわけです。
で、私の認識では、平熱と高熱くらいの差が平時の人間同士にも存在しています。なのにそこに話を向けねえからいつまで立っても、どうでも良い議論しかできないのです。
身体がある程度、高能力になっていれば、相手の気持ちも理解できるし、自分の感情もある程度自由にコントロールできるでしょう。そのうえで、他人に嫌なことばかり言う奴がいるとすれば、それは単純にそいつの「性格」が悪いです。
身体の状態を更に向上させると同時に、なにか別のアプローチで人間的な成長を促す必要が生じてきます。一方で、インフルエンザ時のように、無気力で何もできない状態の人間に、なにか精神的なアプローチ、カウンセリングだとか、心のケアみたいな・・・そんなものは全く意味ないです。ゴミです。
その前に、身体です。何時に寝て、何を食って、どのくらいの運動量があるのか。数値化して、変化させる。その異常事態を引き起こしてる原因は、100%そこにあるのだから。
塾も、生徒のレベルにあった指導をするんですよね? 全員に向かって勉強は気持ちが大事、一生懸命やりましょうと唱えただけでは、根本的な効果は認められないはずです。
なのに、ことイジメ問題になると、アホになるのか、「相手の気持ちを考えよう」「すぐに助けの声を出そう」的に、分かりきった話をさも、正義で適切な解答かのように主張する。
インフルエンザの他にも、便秘のときと快便のときでもまるで違います。身体が不調なときは、ストレスの許容量が下がり、怒りの沸点も下がるものです。
で、この許容量や沸点は、底上げ可能です。身体能力が極まっている、超一流スポーツ選手、オリンピックに出るような選手で、すぐ怒るな・・・なんでキレるの、なんでそんな暗い顔してるの・・・なんて人を見たことありますか?
なんかハツラツとして、動じない感じがありますよね。高い評価などが自信に結びついてる側面もあると思いますが、それ以上に装置としての肉体が快適で優れているから起きる現象です。
結論
身体を主体に個人を見て、精神面を底上げする取り組みを意識的に取り入れ、システムにしない限り、いじめはなくならない。
家庭環境によっては、自己肯定感が著しく低い人達もいるでしょう。そういう人たちには、身体のほかにイメトレも有効に作用する。ポジティブなイメージを反復して、現実との境が無いほどに強烈にイメージしていく。
それから、言葉遣いはイメージを形にするので、普段、どのような言葉を使用しているのかも、数値化すると、対策が取りやすくなる。これも身体訓練と並行して、システムに組み込むと良い。そうすりゃ、しょうもないイジメはなくなります。