作文

生活作文 例文を部活で考えるヒント

どうもこんにちはMENS GAMAZINEの管理人です。

 

この記事では生活作文の例文をテーマ部活で考えてみようと思います。

一つ前に書いた記事では、「生活作文の書き方」について私なりにレクチャーしました。

 

生活作文を効率的かつ効果的に書き進めるには、書く前にネタとなる活動が必要不可欠となる。

 

その点を踏まえて、事前に工夫を施した活動をしておくと、生活作文は作りやすいと伝えました。

 

がしかし、世の中のほとんどの人間は怠け者です。

 

私を含めてあなたも怠け者の可能性が高い。

 

宿題、課題として「生活作文」だけをやれば良いならば、ある程度の活動も積極的にやるだろうが、学生は忙しい。

 

己の学力も向上させなければならないし、他の課題もこなさねばならない。

 

また、何よりも怠けたい、遊びたいのが学生の本心だ。

 

だから、いくら私がしっかりと根拠を提示して、生活作文を書くには、前もって題材となる活動をしましょう。

 

と言ったところでほとんどの人間はスルーして、適当に身の回りにある経験をピックアップして、適当な生活作文を作るのだろうと思います。

 

だから今回は部活動を例に、生活作文を作ってみようと思います。

 

部活動はピックアップしやすい。

 

学生であれば、過半数はやっている。

 

その中で感じたことを書けばいっかと、安直にテーマ設定する人も、多いのではなかろうか。

 

実際、知恵袋の質問欄には、

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こんな感じで、部活動をテーマに決めたが、何を書いたら良いのか迷っている学生が存在している。

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生活作文の例文【部活編】

生活作文を作る上で重要な要素は、独自の体験だと思う。

 

それがあれば、その体験の説明と感じたことをストレートに書くだけで、何も苦労せずに申し分のない生活作文が完成する。

 

だからこそ、事前に体験を工夫しろって言ってるわけです。

 

安易に部活を選んでしまって悩んでしまう理由は、それは日常で特に変化のない出来事の連続であるからです。

 

直近に、部活動の日々の中で特別な出来事があったのなら、作文として書きやすいだろうが、そのようなものがない場合は「苦労」が生じる。

 

この記事では、安易に部活動をテーマとして選んだ上に、直近に、特別な出来事が起きてない状況下でどのように生活作文を完成させるかについてお伝えします。

 

答えは、視点というか切り口を工夫する

 

それしかありません。

 

女子のテニス部。練習が毎日つらいです。

 

みんな頑張っているので私も頑張ろうと思います。

 

では中身がない。書くだけ無駄です。

 

そのような誰でも思いつくような視点や切り口で書くことはやめましょう。

とても上手な先輩が存在する。なんとか技術を盗みたくて話し掛けてみるのだが、冷たくあしらわれてしまう。「先生に聞けば良いじゃん」と。

でも、どう見たって顧問の先生より、先輩の方が上手なので先輩の技術を学びたいと思った。だから真似をして、気づいたことをメモするように決めた。

先輩の動きをイメージして、何度も何度も繰り返し練習した。そうする内に、少しずつイメージ通りの動きができるようになってきた。

できた!イメージした先輩の動きに、自分がバシッとハマった瞬間、その強い快感に鳥肌がたった。

背後の先輩に振り向くと、ふ〜んと言った表情でこっちを眺めてた。

ま、テニスなんかやったことないし、今、適当に創作しましたが、何かこんな感じで自身の技術の向上に費やした体験だったら、部活動をやっていれば、特別な活動をしてなくたって書けるでしょう。

 

このように、「テニス部」というざっくりとしたテーマから、「先輩の動きを真似した日々」と言った、自分にしか得られないテーマに的を絞ることで、作文は魅力を上げて、楽しいものになると思う。

 

テニス部の夏はとても暑い。汗がたくさん噴き出るんだ。

 

という話を延々としたところで、いや、知ってます。

 

テニス部じゃなくても夏は暑いし、そりゃ汗も出るだろって話です。

 

だから切り口を変える必要がある。

 

私はどういうわけか人より鼻が良い。前世は犬的な生物だった可能性すら疑ったことがある。汗臭いせいで後輩の間では嫌がられているA先輩だけれど、私は違う。私だけはどういうわけか、その匂いを好ましいと感じている。なぜならその匂いは、私の好物のしめ鯖にそっくりだったからです。

みたいな周囲との感受性のギャップ。

 

本音は違うのだが、周囲の手前、論調を合わせていることの辛さ。

 

少なからず傷ついているA先輩を救いたい感情など、切り口を変えればいくらでも書けることは・・・ってこんなプライベートな話は書けないか。

 

とにかく、部活動なんていう、よくあるというか学生全員にある平凡なテーマを選んでしまった以上は、切り口や視点を工夫しない限り、作文は映えない。

 

そのような意識で、部活の中で、自分が考えていること、感じていることを追求して、それを作文にしましょう。

 

間違っても誰でも思いつくような視点で作文にしないようにしましょう。

 

簡単です。

 

誰でも思いつくようなことを思いついたら、やり直せば良いのだから。

 

それでもどうしても、自分なりの切り口が発想できないのであれば、独自の体験を生むような行動を部活の中で実行すれば良い。

 

今までとは異なる意識で練習に励む。

 

更に上達するために練習量を増やすとか。オリジナルな練習方法を開発、実践するなど。

最後に

Twitterや知恵袋などで、作文課題に取り組む学生たちを見ていると、ただただ、お手軽に課題を終わらせる方法を渇望してるように見える。

 

だるい、面倒臭い、さっさと終わらせたい。

 

正直な話、作文舐めんなって思うし、そのお手軽な方法を見つけて適当に片付けようとする様は、私には物事を工夫したり発想する才能など、皆無なんです〜と自らアピールしているように見える。

 

こんなもの、大喜利と一緒だろう。

 

遊んでしまえば良い。

 

真面目に形式張って、字数を埋めることしか頭に無いから逆に苦労しているんだ。

 

多少ふざけたくらいで、正そうとする教育者も害悪だが、そんなものに屈して、適当なところで置きにいこうとする若者にも問題があるように思う。

 

断言できるが、中学や高校で多少、教師の評価が下がろうがその後の人生に大した影響は生じない。

 

仮に教師からの評価を下げたがために、行きたい学校に行けないことになったとして・・・えっと人のせいにしてない?

 

そんな評価関係ないほど圧倒的な学力を身に着けなかった自身のせいだろ。

 

それから、当初行きたいと感じていた学校に行けないくらいで、人生の可能性は詰みません。

 

最後に・・・作文とは、頭で考えて作る作業だ。

 

原稿用紙に文字を埋め込む儀式じゃない。

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