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主張作文の書き方を小学生のお子様でも分かるように教えます

主張作文の書き方を小学生のお子様でも分かるように

  • 丁寧に
  • 優しく
  • シンプルに

お伝えしていこうかなと思っております。

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主張作文の書き方

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これが主張作文を書く上での一連の流れです。

テーマや主張は、実体験があったり、自分との距離が近く、興味があり前のめりになれそうな面白いことを基準に選べば良い。

テーマが決まり、主張が決まったら、作文を書きはじめましょう。

私の考えでは、テーマや主張が、自分にとってピタッとハマっていれば、特に何を考えるまでもなく、すらすらすらと文章を作ることは可能だと思います。

学校によっては、原稿用紙に手書きで提出しなければならないらしいので私だったら、最初にパソコンで文章を作成し、それを見ながら原稿用紙に書き写すかなと思います。

手書きでは漢字も苦手だし、スピードも遅いことが理由です。すらすらは難しいと感じるのであれば、テクニックを使いましょう。

これは主張作文にかぎらず、あらゆる作文で有効なテクニックです。前もって、3つか4つに分けて考えます。3つか4つかはどうでも良いです。そのくらいに分けると上手くいくので、しっくり行く方を選びましょう。

3つに分けるのであれ、4つであれ、

・オープニング・セレモニー

・閉会式

この2つが作文の始まりと終わりに来るのは一緒です。

なぜオープニング・セレモニーを開会式と書かなかったのかは、そこのネーミングに意味はないからだ。

なぜ、始まりと終わりを構成的に分けた方が良いかといえば、その方が見やすいからです。分かりやすいからです。読みやすいからです。

では、オープニング・セレモニーに何を書いたら良いと思いますか?

究極的には何を書こうが自由ですが、分かりやすいのは、これから語る主張の前フリですね。読書感想文で言えば、この本を選んだ理由、みたいな。

なぜこの主張を発想するに至ったのか、軽めの紹介をしても良いでしょう。サビから始まる音楽の如く、いきなり結論の主張をぶちかまして、その根拠になる大事な部分を中盤から終わりに掛けて書いても良いでしょう。

ここまでをまとめます。

テーマと主張が明確で、言いたいことが濃密に頭の中にあれば、すらすらすらと文章を書けるはずです。日常的に文章を書くという行為から遠ざかってないかぎり。

それが上手くいきそうになかったら、3,4つに分けて考えます。

出だしはこう
終わりはこう

出だしをこうしたから中身はこう、終わりはこう。

で、基本的には、その分けたところに何を書いても良い。何を書くか、その組み合わせは脳内で自由にやったら良い。そこまで他人に指定されなきゃ書けないというのはNG.

てか、自覚した方が良いです。完全に思考停止になっているなと。解を与えられなきゃ動けない人間になりかけていると危機感を持った方が良いです。

主張作文の書き方 実践

実際に前回書いた、「主張作文のテーマ」に関する記事の中で、私の主張の種となりそうな発想をいくつか考えました。

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この中から主張作文を書いてみたいと思います。読書感想文の良し悪しは、その感想が読んだ人にしっかりと伝わるかどうかです。

主張作文の良し悪しは、その主張が説得力をもって相手に伝わるかどうかと考えます。だから最低限、理路整然と書く必要もあるし、反対意見の人間や、そういう発想に至ってない人間にも、なるほどねと思わせるような内容でなければならないと思います。

そこが難しい。

温泉と映画館のコラボ。を書く場合。なぜそう思うのか?そこにメリットはあるのか?温泉は温泉。映画は映画で楽しみたい層をどうしたら納得させられるだろうか?という点をどうしても追求しなければならない。

が、あれは私の思いつきなので主張作文として、成り立たせるにはかなり厳しい。私はただ、温泉に浸かりながら映画を観てる画、温泉に浸かってると思ったら、浴槽ごと絶叫マシン化する画が面白いと思っただけなのだ。

こういう思いつきでは主張作文として成立しません。

引きこもりニートの件についても、引きこもってるそいつの世界をオープンにしてやれば、何か道が開かれるのではないか?という思いつきから書いてみましたが、盗撮してそいつの世界を不特定多数の人間に晒すことが、何を生むのか。まるで予想が付かない。

このように、知識や情報がたくさん手元にないもの、または調べる事柄が広範囲になるような主張だと、完成させるまでの道程は当然長くなるので、覚悟が必要となります。

その点で言えば、サッカーが良い。サッカーについては元々よく知っているからね。

主張作文を書いてみた

【ボールの蹴り方を教えるんじゃねえ】

世の中には昔から、◯◯のやり方、ノウハウってものが溢れている。ネット社会になってその情勢は更に深みにハマっている。

作文ひとつ例にあげても、本来、自分の工夫で自由に書くべきものなのに、「書き方」というものをこぞって追い求めている。

やり方やノウハウってものは、ある一定レベルの力を手っ取り早く身につけるには役立つものだろう。しかし、個性的でオリジナルで、他を寄せ付けぬ圧倒的なポテンシャルを開放させる上では、ただの枷にしかならない。

それを今、どれだけの人間が自覚しているのだろうか。私の主張は、ボールの蹴り方を教えるんじゃねえ、です。これは、キックボクシングの金的の話をしてるんじゃない。サッカーの話です。

ボールの蹴り方は、私が小学生だった20数年前から存在していた。所属していたサッカー少年団のコーチ連中からも聞かされたし、親に買ってもらったサッカーの本の中にも、記載されていたように記憶している。

軸足はボールのこの位置に起き、インサイドキックはこう。インステップキックはこうと言った具合だ。しかし、世界の超一流を見ているとそのようなルールに縛られることなく、時と場合に応じて自由な蹴り方をしている。世界の一流どころのほとんどは、蹴り方など習っていないという。

ネイマールなどは、芯に当てろ、ということしか習ってなかったと、テレビのドキュメンタリー番組で見たことがあります。ではなぜ、日本では蹴り方を教えるようなハメになってしまうのか。

その根底には、日本の教育システムが少なからず影響しているような気がします。何か技術を教えるには、マニュアルを作り、それを従わせて教育をしなければならない。

そのような先入観が、いつの間にか、教える側にも教わる側にも根深く、植え付けられているのではなかろうか。要点だけ教えて、あとは自由な発想で、自分の感覚で工夫して学ばせるという習慣が、あまりない。

軸足はこう置いて蹴るんだと教えられて蹴るのと、自分で工夫していく中で軸足はこう置いて蹴るのか・・・と自分の体で発見した場合と、どちらが自然で、自分の体にフィットした蹴り方ができると思いますか。間違いなく後者です。

やり方を求めてそれを実行に移せば、必ず上達はします。それが正しいやり方であるならば。

しかし、周りと違う技術、周りとは異なる能力を発達させる必要があるサッカー選手の場合、やり方なんぞを教えた時点で、ワールドクラスのサッカー選手は未来永劫日本から輩出されないだろう。

10分程度で書いた上に、情報収集もしていないので、説得力も薄いと思いますが、一応形にはなりました。

こんな感じで、とにかく手を動かしてみよう。

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